80' s Web
今月の人 東京エイティーズ ショッピング ドラマ 80年代メモリーズ 80年代音楽 ヘルプ
泉麻人さん



今月の人- 一覧 -
05年03月:長江俊和さん
05年02月:中谷彰宏さん
05年01月:泉麻人さん
04年12月:南さん
04年11月:木村和久さん
04年10月:成田勝さん




1956年東京生まれ。コラムニスト。慶応大学商学部卒業。在学中に広告研究会に所属し「週刊テレビガイド」のCMにも携わる。79年に卒業後「テレビガイド」を発行している東京ニュース通信社に入社。4年間同誌の編集を担当する。同時期に「ポパイ」「オリーブ」などに原稿を書き始め、84年にフリーのコラムニストとして独立。著書に「新東京23区物語」「通勤快毒」「なぞ食探偵」(1月刊)など。

テレビガイド記者時代に、ライターで放送作家の方と仲良くなり、それがきっかけで土曜日の深夜のラジオ番組「林美雄のパノラマワイド」(TBS)に出入りするようになりました。林さんは非常に目が利く方で、番組内でこれから売れそうな人を紹介したり、その時代のポップスのB面だけを紹介するようなコーナーがありました。椎名誠さん、野田秀樹さんのコーナーもあり、あるとき林さんから呼び出され「声が面白いから」という理由で、椎名誠さんのコーナーのナレーションをすることに。ちょっとした時事ニュースをナレーションした後「出て来いシイナ、シイナマコト~」と私が紹介すると、椎名誠さんが「はい、シイナマコトです」と登場する、確かそんな流れでした。
[PR]
# by eighties_005 | 2004-12-28 14:49

あの当時は、コラムニストという肩書きの人があまりいませんでした。青木雨彦さんあたりがコラムニストという肩書は使っていましたが、意味が今とは少し違った気がします。もっと時事よりのイメージですね。私が書いていたものはもっと身近なテーマをネタにした軽いものでしたが、ポパイではコラムという言葉を使っていたので、肩書きを聞かれると自然と使うようになりました。もともと僕は短い文章の方が得意だったので、コラムは楽しかったですね。当時長い文章は億劫で、就職活動でも長い論文のテストがある出版社は受けませんでした(笑)その自分が今は一回2,30枚の小説を書いたりしているのだから、不思議なものです。
[PR]
# by eighties_005 | 2004-12-28 14:49

83年に「月刊ビデオコレクション」を創刊。この情報誌では、「週刊テレビガイド」のときと違い、ページの台割(企画や構成のこと)も考え、VCインタビューという企画では自分で記事も書いていました。楽しかったですね。時の人にインタビューするという内容で、今は長野県知事になられた田中康夫さんにもお話を聞きにいきました。彼も私がポパイで連載していた「街のオキテ」を知っていて、話が弾んで楽しかったのを覚えています。
[PR]
# by eighties_005 | 2004-12-28 14:49

84年の夏にフリーのコラムニストとして独立しました。ただ、「泉麻人」としてコラムを書き始めたのはちょうど80年、24歳のときです。当時私は「テレビガイド」の記者で、NHKを担当していました。「テレビガイド」の番組表を作る作業は、間違いが許されない細かい仕事。もう一方で「ポパイ」には「街のオキテ」というコラムページで「東京23区のエライ順は?」などという、一見ふざけたことをネタにしたコラムを執筆。真剣に、でも楽しんで書いていましたね。
[PR]
# by eighties_005 | 2004-12-28 14:49

本格的にテレビに出演するようになったのは、85年の「冗談画報」からです。きっかけは、日曜日の「笑っていいとも!増刊号」に出演したこと。当時、嵐山光三郎さんが司会をなさっていて、若い文化人と対談するコーナーがありました。出演してから数日後、打ち合わせで事務所のドアを開けたら、横澤さん以下、有名なディレクターの面々がずらっと並んでまして、とてもびっくりしたのを今でも覚えています。横澤さんは「オレたちひょうきん族」のディレクターで、番組中にもかなり露出していました。だからすぐにわかったんです。
[PR]
# by eighties_005 | 2004-12-28 14:47

泉麻人としての署名原稿が初めて載ったのは、スタジオヴォイスという雑誌でした。この雑誌に書くようになったもともとのきっかけは学生時代に広告学研究会でCM作りに携わったことにさかのぼります。そのCMが少し評判になり、平凡出版(現マガジンハウス)から記事を書いてみないかという話が来ました。タイミングのいいことに、私はちょうどそのころ、広告学研究会の機関誌に「ナウなヤングの国語辞典」という記事を書いていたので編集部に持っていきました。今じゃこういった企画はよくありますが、当時はなかったので面白がってもらえて、ここから「泉麻人」が誕生しました。
[PR]
# by eighties_005 | 2004-12-28 14:47

実は、「テレビガイド」や「ビデオコレクション」の編集者時代にお会いして、その後もいろいろとお世話になっている方はたくさんいます。よく私の本の表紙の絵をお願いしている渡辺和博さんにお会いしたのもこのころでした。みうらじゅんさんにお会いしたのも、椎名誠さんにお会いしたのもそうです。大学時代にあこがれて読んでいた椎名さんに実際にお会いできたときにはうれしかったですね。また、「STUDIO VOICE(スタジオ・ヴォイス)」という雑誌に初めて署名入りの記事が掲載されたのもこのころ。テクノカット・・・なんかがハヤッていた80年代初頭の景色が回想されてきます。
[PR]
# by eighties_005 | 2004-12-28 14:47

テレビガイドの記者として、NHKを担当していた時期には「朝の連続テレビ小説」の記事を書くために、よく大阪へ行きました。というのも、あの番組は舞台も制作も東京と大阪が交互になっているからで、80年の「虹を織る」は宝塚が舞台で、大阪の担当。主演の紺野美沙子さんは大学の親しい後輩でもあり、取材も兼ねて最近はどう?なんて話をしながらお茶しましたね。そのときだったかなあ、せっかくだから奮発しようとひとりで神戸のオリエントホテルに宿泊してバーへ行き、かっこつけて飲んでいたらチャージを計算にいれていなくて、お金が足りなくなり青くなった記憶があります。東京に帰ってからホテルに送金したのを今でも覚えています。そう、ポートピアで神戸がブームになりつつある頃です。
[PR]
# by eighties_005 | 2004-12-28 14:46

時代の記憶はテレビ番組とリンクしています。子供の頃から古い新聞の番組表を見て、その番組を思い出したり、当時のことを考えたりするのが好きでした。大掃除のときに出てきた古新聞を、他の人にとってはごみなのでしょうが、私にとっては宝物で、デパートの紙袋に入れて大事にいつまでもしまいこんでいて、時々取り出しては眺めていましたね。今でもそんな古新聞はちょこちょこ取ってあります。モノを眺めながら当時を思い出す、という作業がもともと好きです。その頃からのスクラップが原稿を書く際の貴重な資料になっていたりします。
[PR]
# by eighties_005 | 2004-12-28 14:45

昔からテレビっ子でした。大家族だったのでオトナに混ざって、橋幸夫とか船木一夫が出てくる歌謡番組を一緒に観ていました。今はいわゆる地上波よりも、スカイパーフェクトTVなどの専門チャンネルで古い映画をよく観ています。先日、三船敏郎さんが運転手役の昭和30年代の映画を観ていたら、渋谷宮益坂の古びた「はかりや」の建物が映りこんでいました。他の店はすっかり変わり果てているのですが、そこだけ今のままで。古い映画を観ながらロケ地を推理するのは最近の渋い楽しみ、趣味?みたいなもんです(笑)
[PR]
# by eighties_005 | 2004-12-28 14:45

(C) Copyright 2004 SKY Perfect Communications Inc. All Rights Reserved.